(改題)PD/PTSD/心臓病自称ビジネスアーティストがなんとか生きていくブログ

26歳で起業。年収5000万だーなんだー派手な生活をし、騙されて撃沈。
会社潰して、人口8万人の誰も知り合いの居ない地方に移住して
ビジネスアーティストとしてクリエーターとしてニート・ヒキコモリ・精神疾患患者・不登校等

の皆さんを、預かって社会復帰させる事業を立ち上げ、成功させるまでのブログです!

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スピード


そう、異様なスピードなんですよ(笑

仕事がね。

たとえば、編集とかライティング。

1ページ、普通の人が1-2時間かかるところを
15分くらいでやっちゃう。

映像の編集もほぼオンタイム。

なにやっても、速い。

驚かれますけど

なぜかって?


常に発作を、あらゆる発作を抱える僕だから。

心臓発作に、鬱発作、パニック発作に、不安発作。

できるときにやらないと、いつ来るかわからない!!


その強迫観念から、


いつの間にやら、すべてのスピードが速くなっちゃったんですね。


判断のスピードも、現場じゃ一瞬です。


ある意味、病気で得た才能かもしれません。


本気出すと、相手の10歩20歩も先を読んで
動いてしまうんで


待ってください!


って止められます。特に弟子どもには。


時間がとにかくもったいないんです。


いつ死ぬかわからんしね(笑



だから、ブログ書くのも速いっすよ。
推敲しないけど(誤字脱字ご容赦! 仕事じゃないんで)(笑


このブログも大体、3分から5分で書きます。


思ったことを、思ったまま、感じたままに
速く文章にしたいんで
それが本音だと思うし。


商売じゃないんで、ライターとしても書いてないし

その時思った、感じたことを、ストレートに出すには一番かなと。


ちなみに、タイピングも速いです。


真剣にチャットで話すと、「ちょっと待った!」

って良く言われます(笑



今までは、このスピードを活かして生きてきたけど



そろそろ、のんびりでもいいかな?


とか思い始めてるのは、歳だからだろうか?(謎


そんな感じで生き急いでは居ます。


逝き急いでるとも言われますが(苦笑



とにかく、一方的な発信ですが

ここを読んでくれた方々に

少しでも、自閉症やPDやPTSD、鬱等々

そういった患者さんのことを考えてもらえるキッカケになれば?


と、生き恥を再度晒してます。


まあ、そんなんだから


200ページの雑誌を、たった3人で(一人は雑用バイトですけど)
創れていたんだと思います。


100ページ以上、書いてた時は
それでも、マジで死ぬかと思いましたけど(笑
書いても書いても減らないという・・・。


とにかく、このスピードを活かして

速いうちに、早いうちに

独りでも多くの人が、この病気で苦しむのを止めたいんですね。

ほとんどが、周りの無理解、無知から苦しんでますから。



周りの健常者の理解から、この苦しみは一歩前へ進むと思います。


だけど、それを待っていてもしょうがないんで

自衛というか、自分でも立てるようになって欲しいんで


僕は、これからも、こんな内容なのに

敢えて、アントレプレナーのカテゴリで

起業家として


書き続けます。はい。

決まり文句


それは、決まり文句(笑)

「病気言い訳にできていいね」

「都合が悪くなると病気か」

等々。

この病気になってから、23年目。何万回も聞きました。

何度聞いても、殺したくなるくらい頭来ますけどね。


なので、精神疾患等の病気の方々には、
絶対に上記の言葉はかけないでください。
下手すると、自殺されますよ。ホントに。


一番頭に来る決まり文句は

「病気に逃げられていいね」

なんですけどね(苦笑

逃げられたら、こんなに楽なことは無いんですけどね。

健康な方々は、

「そんなことは無い! 楽なハズだ!」

って必ず言います。


だからこそ、昨日も書いたけど
職業も限定されちゃうんですね。


会社員で、これやってたら

絶対言われますから。


鬱が悪化して、休めば、言われるし

いろいろですよ。

公務員だったら、休暇もらえるみたいですけど

民間じゃねぇ・・・。


僕の場合は、親にも捨てられ
誰も守ってくれないから
今の家内と、協力者と、ひたすら茨の道を歩いていくしかないんだけど

そういう状況より悪い人もたくさん居ます。


IT関係の会社なんて、社会貢献うたうんだったら
こうした、在宅勤務しかできない人びとに
職号訓練所でも、仕事紹介するでも
仕事回すでも
やればいいのにと、良く思います。

彼らは仕事したくないんじゃないんですね。

できる仕事がないんです。


特に日本は、通ってナンボ。


顔出してナンボ。


って社会ですからね。


仕事あんまりできなくても、
顔出してる方が勝ちみたいなこと事実としてあります。

ヒキコモって、素晴らしい仕事をしていても
評価されないコトも多いんです。


病気から逃げたいとは思っても、逃げることはできない。



また、これが、タイミングのいいときに? 発作とか来て

肝心なときに、倒れられていいねーとか
良く言われました。

本気で倒れて、死線さまよってるっていうのに・・・。


と、愚痴を書いてもしょうがないんで(苦笑


とにかく、こうした人びとが働けて自活できる環境を創るしかないんですね。

誰もやらないなら、自分でやろう!


それだけです。


身体も傷つけば

心も傷つくんです。


有名なところでは

オウムが、引き起こしたサリン事件。

あれ以来、電車に乗れない人も多いです。

JR西日本の、脱線事故。

あれ以来、電車に乗れない人も多いです。


心におった傷ほど、治すのは大変なんです。

見た目普通で、健康でも、重病なんです。


そこを、わかってあげられる余裕が皆さんにできればと

切に願う次第です。


まぁ、僕の場合は、理解ってくれない人には

徹底的に嫌われて、一生会えないくらい嫌われるように
ワザとしてますけど(笑


それが、自分にとっても、楽なんです。楽しくはないですけどね。


まだまだ修行が必要です。はい。

職業


職業、そう仕事だ。

メンヘラーと呼ばれる我々には、

できる仕事が限られる。


ほとんどは、外界との接触が困難だから
在宅勤務となる。


そこで、言っては悪いが、女性は恵まれている。

「お金を稼がなければ生きていけない」

という現実を前にして、

ヒキコモリだろうが、ニートだろうが

養っている人が居ない限り、働かざるを得ない。

生きていけないからだ。


そこで、女性は、かなり恵まれている。


女性の在宅仕事というのは、ネットが発達した今、
けっこうあるのだ。

出会い系のサクラに始まり
今、絶頂期もしくは、これから下降していく


「ライブチャット」


があるからだ。

これは、自宅で、ブロードバンド回線とパソコンさえあればできる。
あ、Webカメラもだけど(笑)。


事実、チャットレディー(パフォーマーとも呼ばれる)の中には
実に、メンヘラーが多いのだ。

家から一歩も出ずに、大金が稼げる可能性があるんだから
皆やるだろう。

ノンアダルトのトップの子は、60万~100万を月に稼ぎ出す。

普通にやっていても、20万は稼げてしまう。

だったら、辛い思いをして就職、アルバイトしなくていいのだ。


しかし、このライブチャットが、いい商売ではない。


粘着質の客や、変態系の客、地雷タイプと、様々だ。
その客の相手をしているウチに、ストレス過剰となって
症状が悪化することも多い。

そうなると、壮絶な闘いとなる。

事実そういったチャットレディの相談に何回も乗ったこともある。

チャットレディをしたくないけれど
しないと生きていけない。
じゃあ、外で働いてみようと
働いてみたけど、やっぱり無理だった・・・。
だから、またチャットレディをやる・・・。

この繰り返しの悪循環。

中には、チャット中に自殺未遂をする人も多い。


でも、僕ら男はうらやましいと思ってしまう。


だって、在宅勤務なんて・・・皆無だから・・・男は・・・。


確かに、ライターやWebクリエーターなど
在宅でできる仕事はある。


しかし、外に出られない人間は、


「営業に出られない」


のだ。営業できなくては、打ち合わせができなくては
仕事ができない。

ネットだけで、発注が完了できる規模ならばいいけれど
そうもいかない。

やはり最終的には、外に出て、人に会って、打ち合わせをしなくてはならない。


そうなると、外に出られない症状の人は職がない。
金が無い
=死を意味する。


親がある程度財力があって、まだ若ければ
面倒も見てもらえるだろうが
親が隠居し、財力が年金だけになったら・・・。

チャンチャン!

である。

僕は、家内が一緒に居れば、
ある程度外に出られるので
家内の人生、日常を犠牲にしてもらって
なんとか、仕事を取ってこれた。
しかし、それも家内が居る間だけだ。

居なくなったら・・・。

働けないし

生きてもいけない。

家内でなくても、僕の犠牲になって一緒に動いてくれる人が居なくなれば
生きてはいけないのだ。


たまに本気で思う。

「犯罪でも起こして、終身刑を食らって、
 医療刑務所に入れば、一生食うに困らず生きていけるなぁ・・・」

と。

冗談ではなく、本気で思う。


でも、負けたくないから


起業し、

借金を背負ってでも

やっているのだ。


特に、他のメンヘラーの方とは違って
僕は不治の心臓病を持っているから

明日死ぬかも知れないという状況から




明日死んでもいい人生





というものを、常に考えて生きている。

だから、無理がきいていたのだ。


だけど、40も近くなって
体力が無くなってきたら
それもキツクなってきた・・・。


そこで、今、あらゆる自分の才能と頭脳を駆使して
ある事業を考え出した。


それが、ライフワークともいえる


「メンヘラー・不登校・ニート等の社会復帰援助施設」事業だ。


彼らを社会復帰させる「ノウハウ」は、僕自身が持っている。


長年、彼らをボランタリーで自宅に預かって、
社会復帰させてきた。

そのノウハウは、僕しか持っていない。

それが、唯一無二の僕の武器だ。


そして、僕は、僕と同じ苦しみをする人間を
これ以上増やしたくないと、本気で思っている。

だからこそ、生涯を賭けて


これから、一生の仕事として
やっていこうと思っている。


協力者は、今のところ、家内しか居ない。

しかし、必ずや理解してくれた人が
協力者となってくれると信じている。


勝ち組だぁ、負け組だぁ言っているが

それは、あくまでも、
「金銭面」のこと。


僕は人生の「勝ち組」


になれる人を世に多く送り出せるように


この事業をやっていきたい。


とにかく、チャットレディでも、出会い系のサクラでも、テレフォンレディでも
なんでもいい。

生きていけて

自分に誇りを取り戻し

本当の意味での人生の勝ち組になれる人たちを


世にどんどん送りだそうと


そして、理解をまったくされていない

メンヘラー達に、

闘う勇気と、生きる力を与えたいと


また、このブログを再開したのだ。


そして、この目標とする事業を

準備し、立ち上げ、どうなっていくのか?

を実況中継する意味でも


ブログを再開した。


話がそれたが、


本当に、我々メンヘラーにとって


職を探す

金を稼ぐ

という行為は、非常に困難なモノなのだ。


両手が無い人が、ショパンコンクールで優勝するに等しい困難さだということだけは
理解して欲しい。

治療


一般に、精神疾患系は、ガンよりも


早期発見早期治療が必要だ。


1ヶ月も続いたら、我慢せずに病院へ!


なんてCMがやってるけど、1ヶ月も我慢することはない。


おかしいと思ったらスグに精神科へ!!


ここで、1つ問題が起こる。

精神科へ対する「偏見」だ。

日本は、精神科後進国だ。

精神科受診=キ○ガイ

という構図が未だにあり

本人も、抵抗感が強い。



今となっては、風邪ひいて病院行くのと同じ感覚で行って欲しい。


早期ならば、薬とカウンセリングで治ります。


これを逃したら、経験上、病院というか
薬では治りません。


ひたすら薬を飲み続け

薬漬けになって

家から出られなくなって


仕事も無くなるってパターンが大半です。


ドクターハンティングを続ける結果にもなります。


合法ジャンキーの誕生となります。


しかも、薬は身体が耐性を持ってしまうので


どんどん強くなっていきます。


そして、薬があればいいや・・・という状況になるのが一般的です。


病院のカウンセリングなんて、誰もアテにしなくなります。


「病院は薬をもらうとこ」


という認識になるのが通例です。


こうなったら、ただひたすら薬に依存して、
薬だけを飲み続け
症状は悪化する一途をたどります。。。


こうなったら、もう治すのは大変です。


そうなった人たちを、我が家はずっと預かって

社会復帰させてきました。


自分自身が、最後の頼みの綱、


「森田療法」病棟に入院し、経験し、実際、症状が劇的に改善した経験があるので

それを元に、

自宅に預かって、社会復帰に向けて指導していってます。



正直、早期を過ぎた患者に


西洋医学のみの投薬アプローチは、無力です。


閉鎖病棟に何年も入院させられるか

一部開放病棟に入院させられるのがオチです・・・。


なので、ちょっとでもオカシイと思ったら


内科だけでなく、

心療内科、精神科、精神神経科、メンタルクリニックを


風邪みたいに受診してください。


それで、治れば、言うことナシです!

つづく2


さて、そして長崎へ到着。

新しい新居で、寝て、朝起きれた。

何ヶ月ぶりに7時間も寝れただろうか。


で、僕は避難して、トラックからの引っ越し作業が開始された。


みるみる部屋ができていって

さあ、ネットはどうするか?

って探してたら、偶然、CATVがあった。


で、電話したら、とても対応良く速攻開通しに来てくれた。

未だに、ここのNさんとは、仲良くさせてもらっている。


で、ここから、療養生活に入るのだが・・・。


当然、我々の病気、いわゆる最近、「メンヘル」と呼ばれる病気は

一般の健康体には理解されない。


足が無い人に、走れ! 飛べ!

って言っているに等しいことを、言われる。される。

手が無い人に、ピアノを、モーツァルトを弾け!

って言っているに等しいことを言われる、される。


見た目が健康体なだけに、まったく理解されてないし


医療機関も政府もメディアも、まったく啓蒙しようとしないから

未だ、まったく周囲から理解されていない。


鬱病のCMもあるけど


あんなんで、鬱病がどんなものか伝わるとでも思っているのか??


ちゃんちゃらオカシイ。


当然、家内の両親からも理解されず・・・



どんどん険悪になっていく。


大晦日は、今でも覚えてるけど

発作で寝てたら

起こされて

夜の19時から夜中の3時まで

ずーっと正座で説教されていた。

家内が夜勤から帰ってきたら、何事もなかったかのように終わった。


そんなことが続いて


僕もおかしくなって


自分で、自分の腕をナイフで切り裂き始める。


それを発見した家内が、


もう限界だと、家を出る決意をする。


そして、金も無いのに


家を借りて、スグに出た。

長崎で良かった。1戸建て駐車場付きが、4万円ちょいで借りれるのだから。



そして家内が勤務中誰も助けが居ない状況が生まれた。


しばらく、実家の実母が来ていたが
根を上げて帰って行った。

そこで、警備会社の、緊急通報システムを格安で入れてもらった。

ボタンを押すと、警報が伝わって、
同時に登録してある、病院と、家内に連絡。
警備員が飛んでくる。

それでも、安心材料にはならず

ダメで、近所の主婦の方が、パソコンを習いたいと通ってくれるようになって

僕の面倒を見てくれる人が生まれた。


そして、パソコン教室をはじめて

微々たる収入を得ることになる。


これが、長崎復活物語の序曲だった。


その後、地元を盛り上げる組織を結成し

その後法人化し


現在に至る。


そして、これから、メンヘラー+心臓病としての起業家が
本当の闘いを始めるのだ。


さて、どうなることやら・・・。

今後は、症状のことや、接し方

早期発見の仕方、早期治療の仕方

重病になってしまった時の家族の対応の仕方
本人の動き方

等書いていこうと思う。

つづき


さて、続き(笑

自分の会社に戻って、業績も上がって

ふと、ここで考えた・・・。

というか、思い出した。


「20代でレーシングチームを持つ」


これを忘れていた。

歳は29歳だった。

こんな時、偶然は続く。

当時全日本ロードレース選手権に参戦していた

とあるチームの代表と知り合う。


そこで、全日本の人気の無さ、ひどさを聞く。


だったら、面白くやろうよ!

って、一緒にやることになった。

当然、レースをやるための資金は、29までに確保していた。

で、一気にレース中心の生活となる。


その生活パターンと言えば


月曜は、朝方レースから返ってきて寝る。

昼間起きて、というか、仕事の電話で起こされて

当時、仕事用とプライベート用と一般電話があった。

これが月曜は、同時に鳴り響く。

電話を代わる代わる出ては

処理していく。

気づいたら、夜だったってのも普通にあった。

で、火曜、水曜と仕事をして

水曜の夜から、サーキットへ向かう。

身体のことも考えて、無理をしてモーターホームを買った。

世界GPとか、欧米ではモーターホームは当たり前だったけど

まだ日本では、珍しかった。

モーターホームがあれば、パドックにそのまま泊まれる。

これは、ホテルとの移動を考えると身体的に非常に楽。

で、木曜の明け方サーキットに着いて

そこからレース。

日曜の夕方にサーキットを出て

帰路へ向かう。

想えば、こんな生活良くできたもんだ(笑


サーキットに入ったら、

寝るのは、大体朝4時か5時。

起きるのは、6時(笑)


ホント良く頑張ってたと想う。若さも体力もあったんだね。


で、レースを3年続けたところで


とある事件で、会社が傾き始める。


ていうか、完全に傾いた(笑


家も無くなり、てか、夜逃げして(初体験!


それでも、責任を果たすために、ボクは家で留守番で
家内が、レースへ向かうという日々が続いた。


そして1年、完全に、ボクはダウン。

六本木の安マンションの1Kの一室で

喘息が止まらず、夜は寝られない。

やっと朝になって寝れたと思ったら

心臓発作で起きて

そのまま、病院へ運ばれる日々を続けた。


真夏の暑いジメジメした日々だったのを覚えている。


これはもう無理だ・・・と自分でも判断


家内の実家である、長崎へ療養をかねて
完全移住することになった。


それが、また地獄の始まりだったことも知らずに・・・



当時は、やっとゆっくりできるってひたすら安心してた。


ただし、そこには、1つの問題があった。


金も無い。何も無い。


チームトラックを借り出して

それに皆で荷物を押し込んで

トラックで、長崎まで向かうことになったからだ。


リクライニングもしないトラックで


20時間近い移動に耐えられるのか?


正直言って、死を覚悟した。


夜の23時頃、六本木を出発した。

管理人夫妻さん達が、笑顔で見送ってくれたことを今でも覚えている。


浜名湖あたりで、気絶した・・・。発作で・・・。


すごい雷鳴で起きたら、名古屋を過ぎて岐阜に入っていた。


目の前が雨でまったく見えず
雷が凄い。


その光景を見て、またひどい発作に襲われた・・・。


発作に襲われると、高速走行に耐えられなくなる。


そのたびに、SAやPAに無理矢理止まってもらって
発作が止まるのを待つ。


結局、5回くらい死にかけながら

新しい家族にこの日からなった、ダックスのモモをずっと膝の上で抱きながら
二人で耐えた。


普通は、13時間くらいで着くところを、20時間以上かかって到着した。


そして、泥水のように、家内の実家の2Fで寝た。


不思議と喘息もなにもかも、治まっていた。


さぁ、新しい人生のスタートだ!


つづく・・・。



陳謝

さて、大変長らくお休みしておりました。


2月からの激務。その後体調を完全に崩し、倒れ運ばれ


そして、持病の鬱が悪化し


3月中旬から、まったく動けなくなっておりました。


それでも、ナイフで腕を抉り、切り裂き、


痛みで正気を取り戻し、仕事を続けていましたが





「あれ? ここまでしてるけど、なんか違うな?」





と、自分のビジョンと道のズレを実感してしまいました。


ボクは、不治の心臓病に16歳で医療ミスからなったことから

不安神経症・抑鬱神経症・医者PTSD・病院PTSD・PD(パニック症候群)に

なり、今年で23年目を迎えます。


いつ死ぬかわからない恐怖と常に闘いながら


26歳で独立起業。


そう、病人は、就職などできなのです。


定時通勤なんて不可能だからです。


自分でやるしかなかったのです。


24からだったかな?


今は小さくなってしまった、当時ベンチャーの雄


アスキーに入ってはみたものの


コキ使われまくられ(笑


その変わり、1年で成長させてもらって


1年で退社。


フリーになって、1年間必死にフリーライターとして書き続け

月に40ページから50ページ書いて


そして、結婚を機に、独立起業。小さな有限会社だったけど

今はいい想い出だ。


そして、そんなことをやっていたら


ビックカメラと提携した、現ソフマップに見初められ?

ヘッドハンティングされて、ソフマップの子会社だった出版社へ入る。


いきなりの編集長。


大変だった。なんでって、編集やって1年で、いきなり編集長。


しかも、スタッフは相棒(学生時代から一緒の)とバイトの3人だけ(苦笑


それで、200ページ近い月刊誌を毎月作った。


この身体でそこまでやるのは、大変だった。


外注ライターが使えない時は、何日徹夜したかわかんないけど


100ページ以上を人格を変えてペンネームを使って書いた。


看護師だった家内が、限界が来ると、車で差入れ持って来てくれて(会社にね)


車をフルフラットにして、寝て、食べて


また仕事した。


このころの秋葉原は、出前は、ピザしかなかったら


ボクはこれがキッカケで、出前ピザが大嫌いになった(飽きるっての)



しかも、普段は、会社の床の上に寝ていたから

ダニとの闘いも・・・。

これが後々、事務所はマンション! と決めるキッカケになる。



当時の秋葉原は風呂も無いし・・・ナニも無い・・・


明け方やってる店は、富士そばだけ・・・。


なーんもなかった。



で、そこで実売7000部だった雑誌を3万部近くまでに売り上げを伸ばして

実績が認められ、新しい雑誌を出す。

こいつも日本初の雑誌だったけど、うまく行って

8万部くらい出してた。


このころには、スタッフも増えて、ちゃんとした出版社になっていた。


で、本社からお呼びがかかって、課長として入社。


当時、無料でこんなの出していいの? と言われた

今でいうフリーペーパー、ソフマップワールド編集部をすべて見て

さらに、それをしながら、ソフマップワールドハイパーという有料版も出す。


ソフマップワールドは、編集人と発行人。

ソフマップワールドハイパーは、編集長と編集人。


キツイ期間だった。身体的にも、症状的にもね。


でも必死にやった。明日の無い人生だからね。


で、気付いたら半年で、次長・部長と上がっていって

メディア局というのも立ち上げて局長になってた。


で、メディア局と子会社の出版社をくっつけて

新しい出版社を立ち上げることになった。


で、その会社の常務取締役になり、編集長も続けながら

会社の経営と雑誌の最高責任者と

ソフマップ本社のメディア統括を任される。


しかも、自分の会社もあったという・・・。


よくやれたな・・・って時代でした。若さ故でしょう。


なんせ、それしながら、

他の雑誌にも連載持ってましたから・・・。


点滴をカーテンレールに吊して、原稿書いてましたよ(笑

それが、また連載に写真付きで載ったりしてね(苦笑


そんなこんなで第一次黄金期が終わる。



そっからが、体調を壊して、サラリーマンへの不適合を実感する。


3年間勤めたけど、限界だった。


家とは別に、会社の近くにアパートを借りて

通勤時間を短くする努力もしたけど

身体はもたなかった・・・。


発作には勝てず・・・です。


で、辞職して


自分の会社に戻って


編集制作プロダクションとして


一戸建てを借りて、その一戸建てに住みながら

1Fを会社にして事業を展開。


これがまたうまくいってしまった・・・。


第二次黄金期。


それでも、体調悪化とともに、黄金期は終わっていく。


健康な人ならば、そのまま続くんだろうけど


体調が悪化して、寝たきりになれば、当然働けない。


=仕事ができない=収入が減る


これの繰り返しですな。



で、その後、人生最大の危機を迎えるのだけど



それは、また後日。


ずびばぜん・・・


体調を激しく崩して、まったく更新できてませんでした。

更新しない間、いろいろありました。

ごく最近では、大切な人に去られました。


まぁ、理由は、22年間ついてまわっている

ボクの病気なんですが

心臓病3つのほかに

精神疾患、PTSD、PD、不安神経症、鬱等あるんですが

どうしても、スケジュールが過密になり
体調が悪化して
悪化しても、プロとして無理矢理働かなくてはならない。

そんな状況が続くと

これも症状の1つなんですが

非常に、キレやすくなります。

特にプライベートな関係奈相手には
仕事で我慢してる分、言いたくないことを言ってしまったり
ヒドイことをしてしまったり
モノに当たってみたりと始まります。

その結果、負のスパイラルで

人間関係が壊れていって

人に去られる・・・


ということが22年間多々ありました。


今回も、体調が悪化し

でも、例年に無い激務で


心底ボロボロになっていたボクは


また同じことをしてしまったのでした。



ナイフで腕を刺して、痛みで正気を保ったり

いろいろしたんですが(リスカじゃないですよ(笑))


限界でした・・・。


その相手も、必死にボクの病気を理解してくれようと
調べたりしてくれたんですが

やはり、調べてわかるモノでもなく


結果は、悪い方に出ました。。。


この病気がある限り


今後も続くのでしょう。


実家時代は、テーブルぶん投げたこともありましたし

椅子をぶん投げて、壁に突き刺さって穴開けたこともあったし


入院時代は、同病の患者は、皆、壁を殴って、壁は穴だらけでした・・・。


でも、プロとして

普段は、何食わぬ顔をして

仕事をしなくてはなりません。


ふぅ・・・自分の身体ながら、困ったものだ・・・。

さて


今創っている、通販会社の特別サイトは

プロフェッショナルのインタビュー等も入るので


取材も必要だったりする。


今日は、朝6時起きで


遠く遠く遠い某球場まで、取材だ・・・。


技術的には


CSSを使ってるだけだが


それよりも、どう「見せるか?」なのだ。


そこで、かなり試行錯誤している。


まぁ、20日OPENまでには

間に合うでしょう!!

多忙


体調が悪いんですが

某通販企業のスペシャルサイトを

ひたすら創っている毎日です。


なかなか思った風に行かずに


取材系なんで、取材対象とのスケジュールもうまくあわず


四苦八苦悪戦苦闘してますが


2月20日OPEN目指して


ひたすら創っておりますです。



さらに、別な案件やら、雑誌の入稿が重なっているので


ひたすら、仕事人と化しております。


とにかく、死なないようにがむばります!

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